アパホテルが採ったランチェスター戦略の内容とは
アパホテルが採用したランチェスター戦略は「三点攻略法」です。アパホテルの社長は元谷外志雄さんは、当時石川県の小松市と言う所で注文住宅販売会社を経営していました。これはアパホテルグループの前身です。まだホテルではありません。この当時は商業施設の建設やマンションの建設をしていました。
そして、その後金沢市に支店をオープンします。金沢市はもちろん石川県の県庁所在地であることは周知の事実です。そして元谷氏は金沢市の中心部ではなくてあえて西側に最初の支店を開設します。
これはなぜかと言うと、元谷氏の話だと天気は西から東へ移り変わるから西側から支店を出した。と言う話です。まずは中心部ではなくて周りから攻める。と言う作戦です。
人はどうしても中心部に集まります。支店や本社を建設するならば多少地価が高くても中心部に進出するというのが普通の考えでしょう。
ただ元谷氏はあえて中心部を避けて西側から支店を建設することで、まずは会社の知名度を高め、知名度が高まってお客様が増えたところで又別な所に支店を建設します。今度は東側です。そして東側で知名度が高まったら今度は北側です。中央には何もない状態です。そしてその後「アパ○○株式会社」と改名し、金沢市、いや石川県での「アパ○○株式会社」の知名度が充分に知れ渡った所で初めて本店を石川県金沢市に移転したのです。
そしてその後、知名度を生かしてホテル業界に進出します。初めてのホテルはもちろん金沢市です。この頃にはもう「アパ○○株式会社」を知らない人はいません。なのでホテルの稼働率も90%は常に超えるようになっていたのです。
そして等々東京に進出するのですが、この時に取った「ランチェスター戦略」が「一点集中主義」です。
実はアパグループは2010年から東京へのホテル進出を始めていますが、東京は御存じの通り地価がものすごく高いです。特に「千代田区」「中央区」「港区」は土地の値段が高騰しているのでホテルが少ないというのが現状でした。
そこでアパホテルが取った作戦が功です。
①現金一括購入:この方法だと地主は一括でお金が入るので、多少の値引に応じてくれます。
②中央通りを避けて出店する:やはり中央通りは人通りも多いですが地価も高いです。でも一歩裏通りに入れば地価も抑えられます。ここに泊まるビジネスマンの求めるサービスは高級ホテルのサービスではありません。手頃な値段でいいから最低限のサービスを受けたい。アパホテルはそうゆうお客様のニーズに応じたサービスを展開することによって東京でも有数のホテルグループへと成長していったのです。あえて都心の一番地価の高い所一点にホテルを集中させてオープンした。その戦略がより多くのお客様を招き入れる良い宣伝効果にもなったと思われます。「○○区はアパホテルがあるから泊まりやすい」と言う風にです。
まとめ
今やアパホテルは石川、東京だけではなくて、大阪、広島、福岡にも進出しています。これらはすべて西日本です。「天気は西から東へ移り変わるから西側から」と今は西日本を中心に展開されているかもしれませんが、東日本、北日本に進出するのも時間の問題でしょう。
https://president.jp/articles/-/26895?page=2
アパホテルが西から東に攻めていった理由
https://www.apa.co.jp/company/company03
「公式」アパグループ